追悼 宮澤弘幸さんの妹 秋間美江子さん
宮澤弘幸さんの妹 秋間美江子さんが10月25日に93歳の人生を閉じられたことが日本で一番親しかった山野井さんに秋間美江子さんの娘さんから連絡がありました。美江子さんは弘幸さんが検挙されてから戦後もスパイの家族として辛い思いをされていました。そのこともあり、55年前に家族でアメリカに移住されました。アメリカではデンバーに留学した日本人の学生に住まいを提供し支援を続けました。兄弘幸の戦争によって破られた思いがそこにあったと思います。秘密保護法の反対を訴え続けるために何度も来日、最近は宮澤弘幸さんの名誉回復を求めるために12年から16年まで3度来道されました。北海道大学の歴史に忘れてはならない北大生が犠牲になったスパイ冤罪事件「宮澤・レーン事件」を広める運動にとってなくてはならない方でした。感謝を込めてご冥福を祈ります。
秋間美江子さん追悼
秋間美江子さんの訃報が、突然入って来た。美江子さんの日本での最大の友人山野井さんからメールが来ていた。間違いない。今年に入ってから少し体調がすぐれないとも聞いて心配をしていた。10月25日、92才。宮澤・レーン事件の北大生、宮澤弘幸の妹としてアメリカコロラド州ボルダーに在住、後半生はスパイとされた兄の無実を訴え、冤罪を晴らすべく病気をおして何度も来日、講演と北大との折衝に、また今日に続く秘密保護法や九条改憲の動きに警鐘を鳴らし続けた。残念至極であり、ご冥福を祈りたい。
秋間美江子さんとの最初の接触は、2014年5月に北大学術交流会館で事件の集いが
開催されたときで、私は質問の手を挙げた。時間切れかと言うときに美江子さんが早く、早くと指名してくれた。事件の当事者の宮澤弘幸・レーン夫妻の遺族がアメリカに在住している事の奇縁と繋がりの有無を聞いた。上田誠吉氏のいう「人間の絆」はもっとも基本的な所で切れていると感じた。その後私は、宮澤・レーン事件を考える会の発足に加わり、事件を
語り続け、二度と悲劇を起さない活動に関わってきた。
2度目の美江子さんとの関わりは16年12月11日の構成劇と講演の集いであった。準備に余念のない我々に、秋間美江子さんが札幌に滞在中で、11日の事を知って参加の意向が伝えられた。急遽当会と美江子さんとの懇談と名和工学部長との会見(8日)、美江子さんの事件拾遺の聞き取り(9日)、そして11日構成劇終了時の美江子さんの感動的挨拶となった。以降、私たちは新しい資料を送付したり、美江子さんからはカードやお菓子が送られる等交流は続き、ボルドーを是非訪問せよとの誘いもあった。しかしそれを実現することは出来なかった。美江子さんのお気持ちに応えられなかった。
来年は宮澤・レーン事件80周年であり、幸い当会の申し入れに北大博物館は展示会の開催を受けいれ、協議が始まろうとしている。新しい事実ともども、秋間美江子さんの凛とした姿勢に報いる特別展の開催を手向けにしたい。(宮澤・レーン事件を考える会幹事)