宮澤・レーン事件事件を考えるつどいが開かれました。1部 秋間美江子さんの追悼の会
宮澤弘幸さんの命日2月22日、北大学術交流会で定員が埋まる盛況のうちに開かれました。
一部 宮澤弘幸さんの妹、秋間美江子さんの追悼の会
昨年10月25日93年の生涯を閉じられた秋間美江子さんを偲ぶ追悼の会を会の初めに行いました。映像で美江子さんの生涯を紹介しました。戦後もスパいの家族として辛い思いをされた美江子さんは1965年夫の浩さんとアメリカボルダーに移住、過去のことを心の中に隠し、穏やかな生活をしていましたが。しかし浩さんは来日した折、1987年国家秘密法が国会に提出される事態に書かれた上田弁護士の「戦争と国家秘密法」に出会い、その中に宮澤・レーン事件に触れていたことを見て、上田弁護士に手紙を出したことから美江子さんの人生も大きく変わったのです。それまで病院でのボランティアやボルダーに留学した日本の学生を自宅に向かい入れ、千人もの学生を世話をしていた生活に平和のためにお兄さんの事件を語り継ぐ活動が加わりました。何度も日米を往復し、国家秘密法、秘密保護法の危険性を訴え続けてくれました。
札幌でも2014年に北大で講演をし、2016年の事件から75年の12月8日に北大に立ちたいと来日、、考える会とビー・アンビシャス9条の会・北海道が公演した事件の劇、「エルムに寄せて」を観劇していただき、予定になかったのですが、劇の最後に舞台に立ち、劇のお礼を述べ、「日本の平和、世界の平和のために頑張ってください。」と私たちを激励していただきました。その言葉が私たちが聞いた最後の言葉になりました。
美江子さんと上田弁護士と交流のあった山本玉樹考える会代表幹事と、ボルダーで美江子さんに世話になって、札幌での美江子さんのお宿になっていた佐藤さんの心のこもった言葉と、国家秘密法の反対運動で秋間夫妻を札幌に招いた郷路征記弁護士とボルダー視察でお世話になり、その後家族ぐるみで親しく交流のあった帯広在住の坂本和昭の秋間さんへの感謝の気持ちにあふれたメッセージに美江子さんの人柄がしのばれました。
二部は秋間美江子さんが北大に寄贈した宮澤弘幸さんのアルバムが語る宮澤弘幸像を報告しました。
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