宮澤・レーン事件を考えるつどい

外国人教員官舎跡の案内板とモニュメントの設置を

 1941年12月8日に起きた宮澤・レーン事件を忘れまいと開いた集会の報告です。

 12月9日(土)宮澤・レーン事件を考えるつどいが開かれました。1938年北海道大学では外国人教員官舎で戦争前夜に関わらず、国籍や身分を超えて外国人教師と学生たちの豊かな交流が行われていました。その中でも北大でアイヌ文化を研究するイタリア人留学生のフォスコ・マライーニは宮澤弘幸と自転車でアイヌの村を訪ねたり、山を愛する二人はスキーや登山を共にし、友情を深めていました。1941年に宮澤弘幸とレーン夫妻はスパイ冤罪事件で15年という刑を受けました。一方、マライーニは1941年に京都大学に移りますが、1943年イタリアが敵国となったことから、一家は名古屋の収容所に収監され、苦しい収容生活を強いられました。そんなマライーニの昭和を描いたDVDを見、元北大副学長の藤田正一氏にクラークから戦争前夜の北大の歴史、そして現在の大学の状況を語っていただきました。そして戦争前夜に奪われた大学の自治でしたが、現在も国立大学法人化以降同じ道を進んでいる状況に警鐘を鳴らされました。

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フォスコ・マライーニの長女ダ―チャ・マライーニの2024年6月来日が決まりました。

札幌で2歳から4歳まで過ごしたダーチャは帰国後初めて札幌を訪れます。宮澤弘幸がかわいがったダーチャは、当会の北大の外国教員官舎跡への案内板とモニュメント設置の運動を知り、宮澤弘幸の名誉回復を願って、高齢にもかかわらず来札を決めてくれました。戦時中1945年5月に移った収容所となっていた愛知県豊田市の廣済寺では短い期間ではありましたが、戦時中とは思えないマライーニ家族と寺の住職家族や地域の住民との温かい交流がありました。ダ―チャはこの来日の際、廣済寺も訪れる予定です。ダ―チャ・マライーニはフェミニストであり、平和を願う、ノーベル文学賞候補に何度も挙がる作家です。日本とイタリアをつなぐ平和の力になる来日です。多くの皆さんの協力でダ―チャの来日を成功させたいと思います。よろしくお願いします。