ダ―チャ・マライーニ来日の報告1 はじめに 東京から
ダ―チャ・マライーニを日本に迎える会 事務局 宮澤・レーン事件を考える会
1.はじめに
ダーチャ・マライーニさんはノーベル文学賞候補に挙がる著名なイタリアの女性作家です。1938年2歳の時に、アイヌ文化研究のために北海道大学に留学してきた父親フォスコ・マライーニさんとともに来札し、北大の外国人教師官舎に暮らしました。
宮澤弘幸はフォスコと親しくなり、一時マライーニ一家と同居するほどで、幼かったダーチャさんを大変かわいがりました。
1941年12月8日に北大で起きた英語教師レーン先生ご夫妻と工学部学生宮澤弘幸の冤罪事件「宮澤・レーン事件」。私たちは再びこうしたことを引き起こさせてはならない、そのために外国人教師官舎跡に案内板とモニュメントの設置を、と北大への要請活動を続けてきました。しかし、北大はまだこの要請に応えてはくれません。
そこで、宮澤弘幸を知る最後の生き証人であり、戦時中強制収容所の体験を持つダーチャ・マライーニさんを招き、この取り組みを前進させるきっかけを作ろうと考えました。そのため、今までご協力いただいた方々と共に「ダーチャ・マライーニを日本に迎える会」を発会し、広範な皆様にご賛同とご支援を呼びかけました。
その結果、多くの皆さまのご寄付により今回の来日が実現しました。
ダーチャさん(以後、ダーチャ)は去る6月11日に来日し、東京、名古屋、札幌を巡る過密なスケジュールを精力的にこなし、20日に帰国の途に就きました。
イタリア文学者であり翻訳家の望月紀子さんがダーチャの日本滞在中、来日から帰国するまで行動を共にしてくださいました。
また、NHKテレビが名古屋、札幌までダーチャを取材しました。
東京報告
6月11日 ローマから羽田に到着したダーチャ・マライーニを望月紀子さん、イタリア語通訳を担当する黒澤多佳子さん、宮澤・レーン事件を考える会代表幹事の唐渡興宣らが出迎えました。
夜は駐日イタリア大使から大使館での夕食会に招待されました。
6月12日 新宿・常圓寺(宮澤家の菩提寺)を訪れ、ダ―チャに会うために広島から駆け付けた宮澤弘幸の姪と、宮澤弘幸が眠る供養塔に花を供えし、お参りしました。その後の歓迎交流会には約80名が集まり、考える会の代表幹事唐渡興宣が「迎える会」を代表して挨拶しました。学生たちも少なからず参加していました。ダーチャは宮澤弘幸の記憶や昨年上梓した「Vita mia (わたしの人生)」に関して語りました。
「日本は、子供の時期、8年間を過ごした大切な場所であり、その後の未来を創る礎の一つともなった。
戦争中は敵国人として収容所に収容され大変な経験をしたけれども私たちの敵となる存在は官憲であり、一方、外にいる日本人は皆、私たちの側にいてくれたということを知っていた。宮澤弘幸は優しく誠実な人で、決して理解不能な嫌疑をかけられる理由はまったくない」と、この事件を当時京都で知ってとてもつらい思いをしたこと、そして文化、文学への深い思いを語ってくれました。
夜はイタリア文化会館でフォスコ・マライーニ賞(日本語で書かれたイタリアに関する優れた著作に対して贈られる賞)授賞式に参列し、ご挨拶されました。
この日夕方、唐渡代表ら「迎える会」のメンバーはイタリア文化会館館長との面会がかない、ダーチャ来日の経緯などを伝えました。