2024年12月15日 宮澤・レーン事件を考えるつどいの報告 

―戦後80年を迎え、知られざる戦争の傷跡と敵国人抑留を考えるー
1941年12月8日に起きた宮澤・レーン事件を忘れまいと、毎年12月恒例の集会が12月15日に北大で開催され、約80名の市民が参加しました。
すでに報告しましたように(ダーチャ・マライーニ来日の報告1~6)、2024年6月、私たちはフォスコ・マライーニの長女で、宮澤弘幸を知る最後の生き証人、イタリアの著名な作家ダーチャ・マライーニさんを日本にお招きしました。ダーチャさんは宮澤・レーン事件への思いや名古屋での過酷な抑留体験、そこを原点とするダーチャ文学について語りました。

今回は、敵国人抑留の実態を調査し明らかにされてきたPOW(戦争捕虜)研究会の小宮まゆみさんをお迎えし、『宮澤・レーン事件と敵国人抑留』と題して講演いただきました。
小宮さんは30年ほど前から敵国人抑留に関する研究を始め、開戦とともに始まった抑留は終戦まで続き、延べ1200人を超える外国人が抑留され、抑留所は全国で延べ60か所以上に達したということです。北海道では函館と室蘭に抑留所があり、1941年末には2人が抑留されました。
宮澤・レーン事件が起きた12月8日にレーン夫妻の病気の老父と11歳の双子の娘が天使病院に保護されたことに触れ、天使病院が「抑留所」のように使われた可能性を指摘しました。
また、アッツ島から連行されたアリュート人40名が小樽に抑留されましたが、栄養不足と結核の蔓延により終戦時の生存者は25名のみという悲劇的な抑留生活となりました。


小宮さんは戦争下で起こったスパイ冤罪事件 宮澤・レーン事件と、国籍だけで人を差別し抑留した敵国人抑留は、国家による人権侵害という意味で共通していると強調しました。

次に、宮澤・レーン事件を考える会から「ダーチャ・マライーニを日本に迎えて」、6月11日から20日まで、ダーチャさんが訪れた東京、名古屋、札幌の映像とともに、宮澤弘幸の墓参、豊田市の廣済寺訪問、各地での講演会、北大訪問等の報告がされました。

続いて北大工学研究院教員山形定氏から「北大における軍事研究」の報告。北大は防衛装備庁研究費を2年連続で応募し採択されましたがその経緯を解説し、「軍産学共同体」への先駆けとしないために学内外で声をあげ続ける必要があると訴えました。

当日、「ダーチャ・マライーニさん訪日の記録―未来への記憶」が完成し、受付で販売されました。購入希望者は考える会事務局までご連絡ください。詳しくはHP「ダーチャ・マライーニさん訪日の記録」をお読みください。